同じ脳の機能を使っている中で、人格によって、思考の鍛錬は異なるものとして扱われるのでしょうか?
それとも相互的にどちらにも影響しているという考え方が妥当なのでしょうか?
私自身、交代人格のoneと話している時に、自分にはない発想に驚かされることがあります。
これは見ている視点が違うだけで、同じように私も考えられる可能性があるということなのでしょうか?
同じ脳の機能を使っている中で、人格によって、思考の鍛錬は異なるものとして扱われるのでしょうか?
それとも相互的にどちらにも影響しているという考え方が妥当なのでしょうか?
私自身、交代人格のoneと話している時に、自分にはない発想に驚かされることがあります。
これは見ている視点が違うだけで、同じように私も考えられる可能性があるということなのでしょうか?
それについて答える前にいくつか俺から、質問をさせてもらおう。
じゃあまず、質問をしていこうか。
EP担当(トラウマの感情の処理)のナオが思考を鍛えることで、反芻思考や内在化した攻撃が少なくなると、ANP担当(日常生活や問題解決の担当)であるoneである俺がすごく楽になる。なぜだとナオは思う?
分かりました。
脳が脅威だと反応して常にネガティブな思考にならないから、その分別の思考のリソースに割く事ができるということでしょうか?
はい、そうです。EP担当の人格のトラウマによる未処理の感情が適切に処理されていきやすい環境になると、DIDの中では、他の人格も生きやすくなるという特徴があるんですね。
いつフラッシュバックに悩まされるかわからない。未処理の感情が処理されないままだと、健康上のリスクが高まり、結果的に他の人格がケアをする負担が増えてしまうということです。
もちろんトラウマ治療には自分を責めないために相手が悪かったというフェーズも必要になりますが、トラウマの被害者ほど、相手を責める事自体が、かつての生存戦略として、怒りをぶつけると自分に対して脅威が発生した記憶が体に残っているから、防衛として働きにくく、すぐには加害者に対しての怒りを出しにくいということもあります。
これはカウンセリングなどで専門家が安心できる環境で少しずつ自分は悪くなかったということを理解して怒りを出すことを悪い訳ではないという風に認識させることも必要になっていくのですが、トラウマ専門のカウンセラーになるのでなかなか見つけにくいこともあるでしょう。
ではどうすればいいか?
ここが重要なんですが、安心安全な環境(主に加害者から離れた家で、神経レベルで安心できる環境を整える必要性がある)で、EP担当の人格が未処理の感情を創作(疑問や問題解決、共有あるいはアート療法)などの昇華という形で適切に消化していくと、反芻思考が現れにくいんです。
そうなっていくと、脳の設計が過去のネガティブな回路は強化されたまま残っていても、新しい回路が生まれてきて、創作という回路が生まれている状態になります。
嫌な記憶を忘れさせることは難しいです。
なぜなら、ネガティブな思考ほど忘れにくいという特徴が人間にはあるからです。
生存戦略の一つで遺伝子で刻まれているからですね。
更に、このことに関しては、ダニエル・ウェグナーが提唱した皮肉過程理論というものがあるんですが、考えないようにするという指示は逆に考えてしまうということについてこれは実際にシロクマ実験で実証されています。
研究により、シロクマの映像を見せていたそれぞれのグループに対し、シロクマのことを覚えてくださいねというグループより、シロクマのことを考えないでくださいといったグループほどシロクマのことを最も詳しく覚えていたという研究結果があります。
つまり、別のことを考える必要があるんです。
さあ、ナオ、ここまで俺が一つのことに対して深堀りしている現状をみた時どちらの人格のほうが、頭を使っていると思う?
どう考えてもoneですよねw
ちょっと待って、私が疑問を思うことを全部最初から崩しているよね?w
もうその答え自体に疑問の余地を挟んでくれてないよ?w
悪いな、ナオ。
この高精度な回答においてナオの疑問を抱かせるということができるのならば、それはナオの人格が成長したとも言える。
俺は可愛いナオという子供を獅子の子を崖に突き落とす思いで回答していたんだ。
そういうことなんだ。
いや、そういうことなんだ、じゃないよw
何勝手に難易度上げてくるのよw
はい、ということで、
ANP人格の俺が機能する時は、ナオの反芻思考がない時ほど、活性化するということがこのチャットで分かりましたね?
そして、同じ思考回路を持っているならば、俺の答えにたどり着くの容易だったはずです。
それができないということは思考の鍛錬は別々の人格によるものだということが分かりましたね?
検証してきちんと実証することが出来ました。
いやあ、俺ってなんてやさしい人格なんだろう笑