こんにちは、ナオです。
私は質問サイトを見て悦に浸りながら、質問と回答を見るのが好きです。
自分にはない視点に気がつくと宝を得た気分になるんです。
でも残念ながら、私は、人の質問に対して回答しようとしてもその勇気が持てませんでした。
なのでこの場を借りて、コソッと質問させてください。
ところで、今回の本題ですが、
なぜ、高IQやギフテッドなどの質問は定期的に出されるのでしょうか?
不思議でなりません。
ナオの補足
そういえば、今の小学校ではIQテストが普通に行われる所もあるそうですね。
果たしてそれが良い結果を生むのか私には疑問です。
ただ、早期に発達障害に対しての理解が得られるとか、あるいはお子様が境界知能だと分かって将来のことに対して不安に思われる親御さんもいることが分かりました。
私は境界知能でありますが、このようにそのようなことで不幸を感じたことはありません。
虐待の被害によって統合失調症と双極性障害の併発をして入院経歴が長くなっていることのほうが深刻です。
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結論から言います。
IQテストがあり、IQ神話が浸透しているからです。
IQテストは何のために行われているのでしょうか?
実際に、考えてみてください。
知能の高さを競っていますよね。
IQテスト自体は20世紀初頭のフランスで発症しましたが、
このIQテストに関して、IQ神話を生み出したのは、主にアメリカが原因です。
元々は教育支援のために作ったとされますが、アメリカに渡った後に優生学と結びついてしまったがために
差別を生んだ最悪のテストに成り果てました。
日本でも血液型神話とIQテスト神話が未だに流行っています。
IQテストにより、テスト結果で個人の将来を決めつけたり、知性に対してすべてがIQによるものと考えていること自体は危険と警報を鳴らしている専門家もいます。
一部の認知機能を図るためには有用ですが、それが個人の全てと考えるのは違うのではないのでしょうか?
IQの高さで就職の採用を決めることは実は差別や排他主義と同じ考え方です。
では、知的障害者などはどうなるのかと考える人もいるのではないのでしょうか?
結論から言いますと、障害を受けている人は支援枠に入りますが、障害の区分によっては就労を支援して活躍できる場もあります。
また、IQテストにより、境界知能といった言葉も生まれています。
教育支援としての言葉であれば問題ないのですが、支援を受けることが難しい、一般の人と同じ扱いを受けるのであれば、発達障害と同じ生まれ持った障害なのに支援はされにくいという現状は変わりません。
持って生まれたもので職業を選別することは障害レベルであればそれは相対的欠格事由とされ正当な理由になります。
しかし、そうでない理由で選別されているのであれば、差別や排他主義の要因になると考えられます。
こうした生まれ持っての不公平な考え方が日本にも浸透していますが、IQによる質問がよく挙げられるのは、その影響が実際に社会的に影響が生まれているからなのではないのでしょうか?
てか、ナオ、蛇足が多いぞw
そうですね、これは大きな社会問題です。
優生学と結びついた能力主義(メリトクラシー)は、いつの時代も努力主義と個人の責任主義に結びついています。
能力がなければ努力で高めよには限界があると思いますが、社会に出てその影響を受けると限界を迎えるまで走り続けなければいけないとバーンアウト症候群になる人や過労死する原因にもなったりしますよね。
健康を優先しなければ、社会的に不利なのに、健康を犠牲にしての労働が強いられる現状。
ナオの蛇足
ところで、私は、そんな大きな問題に立ち向かえないので、今は私個人の健康を優先し、適切なケアを目指し、生き延びるという目標を立てています。
どんなに能力があっても、死ぬために能力を使うなんてもったいないですよね。
私の能力は「食べること」です。
きっといつかは食べれる幸せも失うでしょうけれど、美味しいものを食べる瞬間は今しかない、そう思うんですよね。
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