人間は矛盾した生き物であるならば、矛盾を受けいられない理由とは?

人間は矛盾した生き物であるのに関わらず人に対して矛盾があると強い嫌悪感を覚えることってありません?
私は、少なくとも、信頼できる、冷静な人ほど論理が崩れた時に、失望がものすごく感じられます。
でも人間は矛盾していてその時の判断が適切であるかは状況によっては違うはずなんだと頭では理解しているんです。

でも実際に私が色々な人の解説動画を観たりしていると、一つでも間違えがあると、何故かしら許せない気持ちになったりするんですよね。

自分が未熟なのは分かっています。

でも普段から解説が丁寧な人ほど、どうしてこんな説明をするんだろう、もっと調べなかったのかなってつい思っちゃうんです。

そこで、今回聞きたいことなんですけど、タイトルの通り矛盾を嫌う理由について教えてください。

矛盾を嫌うのは人間の性、相反する考えが自分にあったとしても
一貫性で判断していると思い込みたい心理が働いています。
自分が矛盾していることを無意識に感知しづらいのです。
矛盾している行動は感情で動いているからです。
理屈とは、感情で動いた結果、自分の中で納得行く説明をしているだけなのですが
人は色々な感情を持ち、感情のぶれは普通に起こります。
行動に対して一貫性を取れるということは人間にとっては難しいからです。
ですから一貫性を持った話し方をすると好意的に人は感じやすいのは、
脳が処理しやすい形で話してくれるからであり、信頼しやすいのは話し方に筋道があるからです。
理解できればできるほど、人は自分の考えと似ている人だと錯覚しやすいのです。
そう考えると、違う意見を持つ人に惹かれる理由、これも実は原理は同じです。
元々自分の中にあった相反する考え方について他人が話していることだから納得がいきやすい。
逆に言えば納得がいかないということはその人自身の中にその考えが受け入れる土台がないからです。
考えが受け入れられないことを理解出来ないと感じます。
たとえば、人を殺害して食べることは多くの人には理解できません。
理解できる人もいるでしょうが少ないでしょう。
背景を知れば分かることもあるかもしれませんが、単なる殺戮を娯楽としてという動機であれば
更に嫌悪しやすくなることもあるでしょう。
多くの人には集団の秩序を保ち、そこからブレないようにして生き延びる生存戦略が適用されているからです。
しかし先程話した殺戮を娯楽としている人は別の生存戦略を持っています。
生き物は生き延びるために多種多様な生存戦略を持ちますが、
それが理解できない、あるいは脅威に感じると人は離れます。
理解できないこと自体が、近づいてはならないという扁桃体のサインだったりするからです。
矛盾というものは理解しづらい、だからこそ人は一貫性のある説明を求めるのですが
人間の行動原理を考えると、矛盾していない人間はかなり珍しい。
様々な行動パターンを考えて無意識に行動を切り替えるそういうシステムが人間にはあるからかもしれませんね。

oneさんは、何故、こういうことをスラスラと言えるのでしょうか?

まず、扁桃体って危険を察知するために、順次モジュールを切り替えているんですよ。味方だったと思った相手が裏切ることもあるし、逆も然り。そう考えるとあの人嫌いって言っても、永久的に嫌いになることはほぼほぼないと考えられますよね? 疎遠になれば嫌いかどうかも関係なくなる。第三者の情報で別の情報が提供されれば、嫌いだったことを誤解して判断していたということも少なくない。ナオの体験としては過去母親が虐待をして怒りを覚えていた、今の母親を心配して自分が面倒見ないといけないのかと考える自分もいる。育てられた恩義はなくとも、扁桃体が常に脅威であると判定した場合、電話の連絡などで近づいた瞬間にフラッシュバックが起きてもおかしくない。それをしないということは今が安全であるかの判断を前頭前野、つまり理性が働いて、扁桃体の動きを抑制しながら今は敵か味方を判別している瞬間があると考えられます。これはどういうことかと言うと生存確率を上げるため、味方は欲しい、敵なら警戒したい、でも一定の期間がある中で変わる可能性があるだからモジュールが変更される場合があるということです。しかしこれは連絡をしている中では使われても過去のトラウマが酷い場合は、扁桃体が後から近づいてはいけないとフラッシュバックを起こす事があります。一度信頼関係を壊した相手でも、もしかしたらと思うのは矛盾した考えですが、生存としては必要だったから残っているのでしょうね。


ナオは不思議だと思っているかもしれませんが、行動からこういうことではないかと仮説を立てることは大体の人間も考えていることだから当てはまりやすいんです。専門職ならば尚更です。一般人が見えている世界と専門家が見ている世界はまるっきり違います。入ってくる情報が並大抵のものではないです。一般人の俺達が考えることは当然ながら、古くから色々な人が考えている情報に過ぎない。それでも新しい知見を生める人は限りなく少ないです。専門家ですからそうですから一般の人が考えるレベルはとうに超えています。ですがナオみたいに、一般でも疑問を持つこと自体は思考のプロセスの情報提供としては、見えやすいので専門家が専門用語で解説するよりは一般の俺達みたいな人は理解されやすい。だから無駄ではないですが、スラスラと言えるのは、事象を解説しているだけだからということになりますね。